降り積もる雪の上で幾多の足跡が重なりあう。並ぶ二つの足跡と自分の一つの足跡が交わると孤独が強まっていくのを感じる。神を信じる身でもない、飛びっきりの特別な日じゃないことくらい分かっている。分かっているのに割り切れない。いくつかのカップルをこの目で見て気も落ち込み、外に出たことを後悔し始めていた。  彼女なんてものは勿論、こんな日につるんで馬鹿なことをするような友人もいない。電話帳を見ても離れた家族か、とっくに縁の切れた形ばかりの旧友くらいしか見当たらない。つくづく嫌になってしまうが、誰を恨めばいいものか。  それこそ、信じてもいない神を呪おうか――そんな理不尽なことを考えていたときだった。 「あの、少しお時間よろしいでしょうか?」  それが自分に対する言葉だと気付いたのは幾秒か置いてからのこと。 「あのっ」  もう一度の声が小さく響いてようやく振り返ればそこに声の主がいた。こっちを瞬きもせずにじっと見つめる、修道衣を身に纏った一人の女の子が。 「俺?」  念のため確認を入れてみる。この聖夜に孤独に歩いている身、勘違いを疑わないわけにもいかず。確かに目の前の女の子は真っ直ぐに目を合わせてくるものの、更に石橋を叩こうと周りも見渡してみる。するとあれだけたくさんいると思ったカップルたちも何もおらず、周囲が静まり返っていた。どうやら本当に。 「あなたです。あなたに言ったんです」  返事をすると女の子は修道衣の裾を少し持ち上げつつ、てこてこと小走りで近づいてきた。間近に立たれると見下ろす形になり、見上げてくる女の子の青い瞳が少し潤んでいるのが良く見える。何だ何だと思っていると急に彼女は俺の手に何かを握らせた。 「そこの教会で聖歌隊のコンサートをやるんです。ぜひ来てください!」  もう片方の手で小さな修道女が指さした先には、空に向かうかのような尖塔を掲げた教会が建っていた。それは電飾の一つも付かず、ただありのままの姿を見せている。こんなところにこんなものが建っていただろうか――違和感が頭をよぎったものの、なぜだかその場所からは惹きつけるような何かを感じる。その理由も分からないまま、俺は次の言葉を言ってしまった。 「じゃあ、ちょっとだけ」  その言葉はすがるような表情をキラキラした笑顔に変えて、そして女の子は俺の手を引くと教会へと駆け出した。  教会の中は暗く、ステンドグラスから差し込む月の光だけが頼りという状態だったが、女の子が急いで走りしばらく経つと灯りが付いてその内装が露わになった。それは大体イメージ通りになっていて、高い天井には宗教画と思しき絵が描かれ、柱にも凝った彫刻が施されていた。それらが荘厳で近寄りがたい空気を放つ……とテレビなどで見たときには思っていたものの、いざ見てみるとそんな弾かれるようには感じることなく、むしろ心を透き通らせてくれるようで。そうして見て回っていると、先ほどの女の子が笑顔で駆けてきた。 「開演までもう少し時間があるんです。寒い中でしたし、ハーブティーでもいかがでしょう?」 「それじゃあお言葉に甘えて」  案内されて礼拝堂の最前列に腰を下ろす。ところで、と湧き出た疑問の一つをぶつけてみる。 「聴衆って他には……」 「誰も来てくれなかったんです。ずっと、ずっと」  寂しげに笑うと女の子はハーブティーの準備に今度こそ向かっていった。  後から誰かが入って来る気配も無く、たった一人の聴衆としてコンサートの開演を待つ。そういえば、と先ほど手渡された紙を見てみる。 『聖歌隊のコンサート、どうか聞きに来てください』  下手な言葉で修飾することなく、ただ想いを込めたと思しき手書きの文面。その側には笑顔の聖歌隊と思しき少女たち。少女、とは言っても何だか髪が長いからそうなのかなと思うくらいだが。紙の隅には出演者全員分の名前も書いてあった。 「あれ」  数えてみると、聖歌隊の名前は四人しか書かれておらず、後はパイプオルガンの演奏者が追記されているだけだ。教会のコンサートを直接訪れたことは無かったものの、聖歌隊とはそんなに少人数だろうか。昔見た映画ではもっとたくさんいた気もする、それこそ紙に全員分の名前は書けないであろう程度には。  紙から目を離してまた教会の内装を見渡してみる。よくよく考えなくとも変なことばかりだとも思うが、深く考える気が起きなかった。小さな修道女、一人だけの観客、思えば突然静かになったような街並み。どれも普段ならおかしいと分かるはずのこと、だというのにどうして?  そのことから気を逸らさせるかのように、ふと何かが目に入った。その何か、椅子の片隅に置かれた大きな木箱に手を伸ばしてよく見てみると、上が開くようになっていた。箱の中を見るとその中にはオルゴール、そして清廉な水色基調の衣装に身を包んだ四体の少女のミニチュアが並んでいた。 「何だこれ」  思わず声に出てしまう。オルゴールを見る機会はそう多くない、せいぜい学校の卒業記念品で貰ったくらいでそれもあまり聴こうとはしなかった。ただ目の前のオルゴールは明らかにそれより大きく、素人目に見ても高級品であることが分かるほどだ。共に置かれたミニチュアの少女たちはおそらくオルゴールと連動して動くのだろう。よく見ると台座は五つあったが、一つは空白になっていた。アンティークの品にはよくありそうな気がするが、実際に見てみると何とも物寂しさを感じてしまう。 「聴いてみますか?」  振り向くと湯気の立ったティーカップを手にあの女の子が立っていた。 「いいんですか?」 「ええ。彼女たちも喜びます」 カップを片手で受け取ると木箱を差し出してみる。女の子は微笑むと木箱の前面に付いていたねじを巻き始めた。キリキリという音を立てつつゆっくり、ゆっくりと。最中、その目が箱の中のミニチュアたちを見つめているようだった。そんなに穴が空くほど見つめなくても、とも思うのだが。とはいえ何か言うでもなく、ハーブティーを少しずつ飲みながらただその光景を見ていた。 巻き終わったのか、彼女はオルゴールをこちらに向けるとねじから手を放す。ねじがひとりでに逆回転を始め、そして。 「……あ」  オルゴールの音色が耳に流れ入る。その一音ごとがしっかりと、それでいてばらばらになるでもなく全てが繋がって。  でも、何かが足りない気がする。